| ■ ドレスデン/グラスヒュッテ訪問記 ■ |   |
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というわけで、会社がヨーロッパに2週間ばかり出張してこいというので、それにあわせて週末にドレスデン、グラスヒュッテに行ってまいりました。
今回はドレスデンにお住まいで、普段からオールドグラスヒュッテ関連を中心に色々とお願いしているペーターさんに翻訳・交通手段・食事など最初から最後まで頼りっぱなしになりました。 この場を借りて深く感謝。 以下それぞれ簡単にまとめてみました。
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visited: 03/15-16/03
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| ■ Lang In Dresden ■ |   |
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今回のドレスデン/グラスヒュッテ探訪の目的は何といっても聖地グラスヒュッテ巡礼にあるわけですが、それと同じくらいLang & Heyneを訪問して実際を確かめるというのも大きな目的でした。
で、あらかじめこれこれの日に店に行くからモノと工房を見せてくれると大変ありがたいとメールでお願いしておいたところ、若いのが待ってるから遊びにきてねと快諾してくれました。 ということで朝一番にいそいそとお邪魔してきました。場所は旧市街からエルベ川を渡って間もなくのところ。 店自体はそんなに広くなくてフツーの時計店&アンティークショップって雰囲気ですね。この辺りにはアンティークショップが何件か並んでいるのでフツーの観光客にはone of themとしか目に映ってないような感じですかね。
工房は地下にあって、なんだか頼めば誰でも見せてくれそうな感じでした。
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| ■ Lang & Heyneの時計について ■ |   |
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懸案のLang & Heyneですが、これは店に入るなり真っ先に見せて頂きました。見せて頂いたといっても在庫があるわけではなく、出荷前の調整中のものをごそごそと引っ張り出してきて頂きました。自分とペーターさん以外にも2人ほど見に来ていたので店の中は大賑わい(笑
で、感想ですが、まず何といってもその大きいこと大きいこと。 ムーヴメントのサイズは16.25リーニュとカタログにあるので、実質的にはダイアルは38mmくらいの雰囲気になっていて、ケースまで入れると44mmものサイズになってます。パネライと同じですね。懐中に範を採っている以上、サイズとしても懐中クラスのものを作るのがスジ、ということなのでしょうね。 → 持っていったGUB64と比較してみました さて、一部でETA28系じゃないかとウワサされていたムーヴメントですが、このサイズともなればもはやETAでないのは一目瞭然ではあるものの、とりあえず訊いてみました。
ダイアルは伝統に則ってスモセコ、内側、外側の3パーツから出来ているそうです。素材はいうまでもなくポーセリン。
気になるお値段ですけど、YGとRGが14,800ユーロ、WGが15,800ユーロとのこと。
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| ■ 聖地グラスヒュッテ ■ |   |
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グラスヒュッテまではドレスデンから南へ車で30分ほど。
# 里程を示す石の塔によれば馬だと3時間くらいだそうです(笑 途中、ほとんどの場所で洪水の復旧作業をしていて、洪水がいかにひどかったかがよくわかるような状態でした。何せ民家の壁にはまだ水の痕が残っているくらいだし、そもそも鉄道が使えないというか線路を引き直しているような有様で、グラスヒュッテ駅などは打ち捨てられたかのような感じです。だって時計の町なのに駅の時計が止まってるんだもん(笑 → グラスヒュッテ駅 で、ドレスデンからの道が駅前の通りで、道をはさんで反対側にランゲの社屋がでで〜んと構えています。でで〜んとかいってもそんなに大きくはなくて、3階建てのアパート一棟って感じですかね。
グラスヒュッテといえばあと大きいところはミューレとノモスですが、ミューレはグラスヒュッテ駅から南へ2kmほど、ノモスはさらに南へ1kmほどのところで、ノモスなんかはもう町外れでここから先はまた森の中の道、というところにあります。
グラスヒュッテは町の紋章に示されるようにもともと銀鉱と各種鉱石の採掘でなりたっていた町らしく、そうした鉱物資源が底が尽いたのと同時期にというか、底が尽いたのでランゲ氏が時計製作を始めたのだとか。産業振興と雇用対策を理由に帝国から補助金も出ていて、最盛期には(ってGUBの頃ですけど)2000人ほどの人が時計関連の仕事に従事していたそうです。
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| ■ 時計博物館 ■ |   |
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グラスヒュッテ駅前にランゲとGO・ウニオンがあるわけですが、その2つの建物の間をすりぬけて裏にいくと、ひっそりとAlfred Helwigの名を冠したGOの時計学校と時計博物館があります。
こちらの建物は既に新しくなっていて、塗料の匂いも抜け切らないくらいの新しさでしたが、時計博物館自体はとんでもなく狭い(12畳一間って感じ)ので期待していくとかなり凹むと思います(笑 # 懐中ムーヴヲタ、時計用機械・計器ヲタ、グラスヒュッテヲタなら鼻血が出るほど興奮できる場所ではありますけど(笑 # ってもあるかと思って期待していたウニオンのUniversal Uhrは写真のみ。2本だけ作られて、現在はいずれも個人蔵だとか。 → 入り口は階段下りたとこ → こっそり撮影した室内 → こっそり撮影したミューレの計測機器 → こっそり撮影した最初期の腕時計たち ここの館長さんっていうか管理している人は激ザクセン訛のおじさんで、話しかけると100倍くらいの返事が返ってきます。
見所はやはりALSやアスマン、ウニオンあたりの懐中やUROFA・UFAG・GUBあたりの腕時計ではあるのですが、それ以上に写真でもなかなか見る機会のない傍流の時計や小物類でしょうかね。UROFA61なんてムーヴやGUBムーヴのMeister Ankerブランドの時計、クォーツ、といったようなもの。UROFAのシリンダー脱進機の腕時計もひっそりと展示されていました。 お土産としては謎のお酒Uhrenölとグラスヒュッテのステッカー。
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| ■ おかいもの ■ |   |
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で、なんというかそうそう旨い話など転がっているはずがないにも拘らず淡い期待を抱いてしまう旅先での買い物ですが、やはりそんな旨い話はありませんでした。
# 結局はオンラインで信頼できるショップに頼むのが最も安価で確実な買い物ができるのかなと思います。 でも、ebayで落札していてホテルの方に配送してもらったユンハンスのテンプが電動のDato-chronを無事受け取ったのと、今回色々と世話を焼いてくれたペーターさんがGUB60.2をいくつか揃えてくれて好きなの買っていきなよと粋な計らいをしてくれたのとで、ドイツ時計ゲットだぜ!度はかなり高め。むふふ。
後は迷った挙句結局買わなかったけど、ラングさんのお店には色々面白いものがあって、懐中は流石の品揃えでヨダレ出っ放し、腕時計はGUB69.1のデッドストックものがかなりお得な値段で出ていました。 ランゲ、GO、ウニオンあたりの現行のものについてはドイツ最大宝飾販売店のWempeとHoffmannという地元の時計屋さんでありがたくご尊影を拝んできました。
それと、マイナス方向での収穫としては、修理のために持っていった2本、オールドグラスヒュッテのところで紹介しているうちのGUB60.3とGUB66.1のうち、GUB60.3がかなりひどい紛い物だと判明したこと。秒針を回している歯車(フタを開けると一番上にくる歯車)と丸穴車とダイアルと針とがアフターマーケット品でした。
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| ■ 番外編:ルフトハンザの機内販売 ■ |   |
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以前雑記の方でルフトハンザ機内販売のノモスのことをちらっと書きましたが、本当にあるのかどうか気になっていたので、今回ルフトハンザに乗った時に早速見てみました。
そしたらドイツ人ってそんなに時計が好きなの?なんて思うくらい時計がわんさか。まさか時計が弱かったせいで戦争に負けたとか思っていやしないだろうかと思うくらいです(笑 ここではそこからいくつかご紹介。 → マイルをためてジンをもらおう♪なページ → オリジナルもあります → お約束のようにB-UHRが(笑 → ノモスもちゃんとありました | |
| ■ 番外編:もうひとつのマニュファクチュール ■ |   |
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今回は工房も店もいけませんでしたが、Armbanduhrenなどで紹介されていたグラスヒュッテのもうひとつのマニュファクチュールをご紹介しておきます。
その名前はD.Dornblüth&Sohn Kalbe i/S.A.で、実際にはグラスヒュッテではなく、Kalbenserという町でやっているようですけど、このDornblüthさんはGUB時代から50年以上ずっと時計を作り続けていた人で、ついに念願叶って自分の時計を、ということだそうです。 この時計もLang & Heyneと同じくユニタスの大型ムーヴに範を採って16.75リーニュ、見事なグラスヒュッテスタイルに作り上げています。 値段はステンレススティールで約5000ユーロ、金で約8000ユーロだそうですから、Lang & Heyneよりお手ごろかも?これは何とかしてゲットしたいものですね。 → Armbanduhrenから:ダイアル → Armbanduhrenから:ムーヴ | |
| ■ 番外編:ドレスデンという町 ■ |   |
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せっかくの機会なのでドレスデンも少し紹介してみましょう。
よく知られているように、ドレスデンは第2次世界大戦中ヨーロッパで最も悲惨な経験をした町のひとつで、戦火によって受けた壊滅的な打撃はベルリン、ワルシャワ以上でしょう。 市の中心には大抵の歴史のあるヨーロッパの都市がそうであるように、城、教会、劇場などがあります。が、その多くは戦火で失われ、長く復興されずにいたようで、最近になってようやく市の中心に位置する建物の復旧が始まったようです。 とはいえ、北にマイセン、南にグラスヒュッテ、西にライプツィヒを従えるザクセン州の首都として古くから文化の薫り高い町であったようで、これが近代以降の産業の基礎となったようで、陶磁器、時計のみならずカール・ツァイスなどカメラ製品の製造工場や教育機関などもあったようです。
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