| ■ ドイツ時計研究〜メーカー編(AlpinaとDugena) ■ |   |
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こちらはドイツ時計研究のうち、Alpina Glashütte〜Dugenaに関する話題をまとめています。
もともとメーカー編(グラスヒュッテ)にシステムグラスヒュッテの一角として紹介していましたが、あまりにも幅が広いので独立させた次第です。 メーカー編(グラスヒュッテ)
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| ■ Alpina Watch International SA ■ | 1972〜2002 |
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クォーツショックの影響でスイスのエボーシュメーカーはEbauche SA(後のETA)という形で大連合していく中、Alpina UHはEbauche SAの大連合には加わらず、ドイツの投資ファンドに買収され、Alpina Watch International SAと社名を変更します。
このAlpina Watch International SA、ドイツのケルンに店舗を展開、70年代から90年代までは細々と注文生産をこなしていたようですが、この時期のものは見たことがないような。 その後、機械式ブームが起こったわけですが、そんな中、2002年にFrederic Constantに再度買収され、2003年のバーゼルで数モデルを発表、機械式時計のブランドとしての本格的な復活を果たしました。 10/16/06
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| ■ Alpina-Gruen Gilde SA ■ | 1929〜1937 |
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Alpina Union Horlogère SAは1929年、アメリカのGruenと統合し、Alpina-Gruen Gilde SAとして世界最大級の時計生産・販売ネットワークとなりました。
僅か8年程度でしたが、この時期には恐らくはAlpinaの名を冠した時計で最も知られているであろうDoctor's Watchが生産されています。Doctors WatchはAlpina、Gruen、Alpina-Gruen、Rolex Prince、それぞれのブランド名で販売されています。なお、この時計を生み出したAeglen工場は後にロレックスに売却されたことで知られています。 02/23/03
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| ■ Alpina Deutsche Uhrmacher-Genossenschaft GmbH (Dugena) ■ | 1917〜 |
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1917年のCorporation d'Horlogers Suisse解体後、Alpina Glashütteはまずは本拠をグラスヒュッテからアイゼナッハ(バッハ生誕の地として有名ですね)に移り、社名をAlpina Deutsche Uhrmacher-Genossenschaft GmbHとしました。
WWI終戦間際の状況はよくわかりませんが、WWI後は引き続きスイスのAlpinaグループから部品を調達して生産が行われています。 その後、1927年に本社をベルリンに移し、ドイツのAlpinaの最盛期を迎えることになります。 当時は主力はもちろん懐中となりますが、品質としてはJunghansと同程度の普及価格帯を目指しているものが大半です。グラスヒュッテでいえばALSが同様の廉価版であるOLIWクラスを出してきたのと重なります。
WWII中、戦前のようなスイスのAlpinaとの連携は戦中に絶たれており、自前でムーヴメントを調達するようになりました。この頃からDeutsche Uhrmacher-Genossenschaft Alpinaの頭文字を取って、DUGENAを名乗り始めたようです。
クォーツショックに際しては、出自が出自ゆえ、むしろ積極的にクォーツを取り入れていったようですが、さらには時代の波に取り残されつつあった小さい工房を販売店として組織していったようなフシがあります。 面白いのは現在のDugenaのロゴ(正三角形に内接する円)はベルリンに移ってからのAlpinaのロゴを引き継いでいることで、Alpina銘の懐中などを見ると正三角形に内接する円があり、その中に小文字のaが刻まれています。
10/16/06
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| ■ Alpina Union Horlogère SA ■ | 1917〜1972 |
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1917年のCorporation d'Horlogers Suisse解体後、スイスの組織はAlpina Union Horlogère SAと名乗ります。
こちらの方はCorporation d'Horlogers Suisse以来の流れで、WWI後もごくごく平均的な懐中の機械を提供しています。その後の腕時計への本格的な展開にあたってはGruenとのAlpina Gruen Glide SAという合弁により展開しましたが、これは約8年で解消、その後は単独で腕時計も製造しています。WWII中にはドイツのAlpinaと同様、ドイツ軍(陸軍と海軍とあるようですね)にも納めていたようですが、中盤で供給を止めてしまったようです。 戦後は、といってもスイスは戦火から免れていたので特に生産体制に大きな影響があったわけではないのでしょうけど、戦前と同様、懐中での設計を活かしたごくごくオーソドックスな手巻きの機械を作っています。また、自動巻きなども戦後開発されてますが、クロノグラフ以上のコンプリケーションは手掛けていないようです。 その後、1972年にはクォーツショックのあおりを受け、ドイツ系の投資ファンドに買収されてAlpina International Watch SAとなります。 Alpina Union Horlogèreの時計については多くはUnion Horlogèreの刻印かAlpinaのみの刻印かのいずれかになっていると思います。
10/16/06
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| ■ Alpina Präcisions-Uhrenfabrik Alpina (Alpina Glashütte) ■ | 1909〜1922 |
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さて、Alpinaのドイツの生産面での進出先は、Alpinaの成立経緯からも想像がつくように、零細工房が数多く存在していたグラスヒュッテでした。
1909年、Präcisions-Uhrenfabrik Alpina (Alpina Glashütte)が設立されます。 このAlpina Glashütteの最初の時計は1912年、脱進機はグラスヒュッテ製、その他の部品はスイス製というものでした。翌1913年にはドイツ海軍に納入するほどになっています。 スイスのAlpinaを経由し、世界的な販売網を持っていたAlpina Glashütteに対し、ランゲは危機を感じたようで、ノモスの時と同じように、すべての部品がグラスヒュッテ製ではないということでグラスヒュッテの名称を使えないように訴訟を起こしたようですが、そのままWWIに突入しうやむやになったようです。 このAlpina GlashütteはWWIの戦況の深刻化によるAlpinaCorporation d'Horlogers Suisseの解体に伴い、Alpina Deutsche Uhrmacher-Genossenschaft GmbHとしてベルリンに本社を移動します。 グラスヒュッテで製造されていた時計の特徴ですが、ダイアルに関しては主に、Präcisions-Uhrenfabrik Alpina Glashütte i.SまたはAlpina Union Horlogère Glashütte SAとの刻印がなされているか、無銘であることが多いようです。
02/23/03
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| ■ Corporation d'Horlogers Suisse ■ | 1883〜1917 |
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1883年、保険で有名なWinterthurで時計師をしていたGottlieb Hauserの呼びかけにより、既に分業体制による一貫生産体制を確立していたスイスの主要な時計産業地帯(ジュラ渓谷、ラ・ショー・ド・フォン)を除いた、時計師・工房による連合体が発足します。この連合体、技術の交流、部品などの共同購入と生産を行っていくことを目的として設立され、Corporation d'Horlogers Suisseの名で活動を始めます。 間もなく独自のムーヴメントの製造を始めるわけですが、前後してDuret氏とColonnaz氏によって保有されていた在ジュネーヴのエボーシュメーカー、Alpina Ebauche Factoryも参加、ドイツや北欧への進出をした1901年にブランド名としてAlpinaが使われるようになりました。 その後WWIまでは世界各国に販売店を持つなどで高成長を続けますが、WWI突入後、スイス〜ドイツ間での部品調達や資金移動が困難になったり、政治的な理由により分割を求められたりで、スイスを中心にしたAlpinaの組織体は1917年にはついに
02/23/03
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