| ■ Sächsische Uhrentechnologie GmbH ■ | 1999〜 |
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ケースの製造会社、SUGは1999年、Ronald Boldt博士により創業されました。
このBoldt氏はかつてはGUBの製造責任者だったそうで、GO・ウニオンの現社長Heinz W. Pfeifer氏がGOを買収した時も品質管理・ケース事業の部長に任命したそうですが、結果的にGOがケースの自社製造を止めることになり、それに伴って独立することにしたそうです。 で、独立する際に出資をしたのがジンのLothar Schmidt氏、プフォルツハイムでケース製造に携わるWalter Fricker氏ということで、現在のSUGの主要顧客はジン、ジャッケ・エトワール、ミューレとなっていますが、これはその出資関係によるものといえましょう。 # Fricker氏はJE、ジン、シャウアー、テンプション、ストヴァのケースを製造しています。 さて社名のSUGはSUGの略称が広く知られていますが、正式名として言及されるのはSächsische Uhrenindustrie GlashütteとSächsische Uhrentechnologie GmbHとの2つがあり、さてどちらが正しいのやら、と思っていたら、出資者はみな後者の表記を用いているので後者の方が正しいようですね。 2002年の洪水ではノモスと並んでグラスヒュッテ内でも最も被害が大きかったようで、すべての機器を買い換えることになったそうですが、保険がおりたおかげで操業再開は早かったようです。 01/22/04
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| ■ Bruno Söhnle Glashütte ■ | 1997〜 |
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グラスヒュッテの時計メーカーといえばどこもかしこも機械にそうとうコダワリのあるメーカーばかり、という印象があろうかと思いますが、ここでひとつ例外を。
Bruno Söhnleは"Uhrenatelier"を称して女性向けのラインアップに力を入れている若いメーカーで、シンプルでシャープなデザインを売りとしているようです。
Bruno Söhnle自身はグラスヒュッテにおいて時計のデザイナー歴40年以上、新しい工房はJulius Assmannがかつて使っていた建物、という具合ですし、82年よりGUB、97年よりミューレとパートナーとしてやっているとのことで、グラスヒュッテ内ではかなりの存在かと思われます。
まあでもこういコンセプトだとグラスヒュッテであるとかそうでないとかはあまり関係なさそうですね(笑 01/10/03
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| ■ VEB Glashütter Uhrenbetriebe (GUB) ■ | 1951〜1994 |
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1951年から1994年まで存在したGUBは戦後東ドイツの歴史を体現するグラスヒュッテ最大の時計メーカーです。
# とはいってもその前はランゲなどから、その後はグラスヒュッテへと繋がる長い歴史があるわけですけど。 設立の経緯は終戦後、1949年の東西ドイツ分裂、1950年の総選挙で共産主義国家が設立された直後で、50年7月に
その後の変遷は歴史編に可能な限り詳述しますが、共産圏最高峰の時計製造メーカーとして営々と脈々と粛々と、時には時代の流れに逆行して、発展していきます。
89年にベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統合されましたが、これを追う形で1990年に民営化、Glashütter Uhrenbetriebe GmbHとなりました。GUBはGUBですけども。
1994年、ランゲとミューレの復興が主因かKal.10-30の開発が主因かは不明ですが(いずれ調べたいところですが)、グラスヒュッテオリジナルへ名称変更、スウォッチグループの買収を経て現在に至っているのはよく知られている通りです。 01/05/03
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| ■ Lange VEB ■ | 1948〜1951 |
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第2次世界大戦の終結の間際、ドレスデン〜グラスヒュッテ一帯はソ連軍により占領されましたが、その際、ランゲ家は捕虜になることを恐れ、西側に脱出しました。
ランゲの工場はこの段階で接収されているのですが、戦後の統治体制が東西冷戦の構図に変化していく中、1948年には当主がいないまま名実共に国有化されました。それがこのLange VEBです。 その意味では、Lange VEBはA. Lange & Söhneの後継企業にして、ランゲの歴史の中でも唯一当主のランゲ家が存在していなかったランゲ、といえます。 1950年の共産主義国家の成立に伴い、1951年にGUBができますが、Lange VEBはUROFA・UFAGと共にGUBの中核となりました。
というワケでグラスヒュッテなコレクターはALS銘、Lange VEB銘、GUB銘のパワリザ付きcal.48とcal.28なぞ揃えに行くようですが、Lange VEB銘のものは少ないこともあり、大変人気のようです。 08/29/04
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| ■ Tutima Glashütte ■ | 1931〜1945 |
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チュチマはなんというか自分が書くまでもなく有名ななかひろ時計館のチュチマ・レポートでも見てください、って感じですが、まあとりあえず。
若干の補足ができるかと思いますし。 戦間期〜大戦中にグラスヒュッテに存在していたチュチマはあくまで「ブランドネーム」としての存在であり、会社名ではありません。
チュチマ銘で知られるものとしては、クロノグラフのcal.59が特に有名で、現在も復刻版が出ているほか、Poljotからコピー品が未だに出回ってます。
Kurtz博士の脱出とソ連軍による占領によりグラスヒュッテのチュチマは自然消滅、1945年以降のUROFA/UFAGではチュチマ銘の時計は製造されていません。
01/29/04
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| ■ Uhren-Rohwerke-Fabrik Glashütte AG (UROFA) ■ ■ Glashütter Uhrenfabrik AG (UFAG)■ |
1927〜1951 |
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UROFA/UFAGは現在のグラスヒュッテオリジナル、ウニオンの前身となるメーカーであり(GUBを間に挟みますが)、ランゲ、GUBとともにグラスヒュッテの歴史を語る上で最も重要な会社の1社といえます。
1926年末、WWI後のハイパーインフレにより休眠状態に陥っていたDeutsche Präzisions-Uhren-Fabrik Glashütte (DPUG)が法的にも完全に倒産します。
腕時計の生産は1929年より始まり、技術主任がEmil JudithからRobert Henziに代わった1934年より大量生産時代に入ります。
かの有名なクロノグラフ、cal.59は39年からの製造となりますが、背景には38年の国軍より納入業者の指定を受け、クロノグラフの設計・製造を命ぜられたことがあるようです。
1945年のソ連の占領によりクロノグラフの製造設備がソ連軍により持ち去られ、KirowとPoljotにより1970年代までcal.59の製造が続けられたことはよく知られているかと思います。
さて、Kurtz氏の脱出とソ連軍による設備の接収により再び壊滅状態となったUROFA/UFAGですが、残ったPaul Löwe氏により1945年中には製造を再開します。
01/29/04
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| ■ Lange Uhren Glashütte i. Sa. ■ | 1924〜1945 |
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ランゲの腕時計というと、古くは女性用の小型の懐中のムーヴメントを用いていましたが、1920年代に腕時計が大きく勃興するにあたり、別会社を立ち上げています。
それがこのLange Uhren Glashütteで、スイスのMontres Atlus S.A.の機械をベースにランゲとUROFAで共同で生産にあたりました。 後のUROFAの腕時計のベースとなったものと考えてよいかと思います。 このメーカーからの腕時計には複数の銘があり、Delcona銘またはLange-Uhr銘のものが一般的のようです。 08/29/04
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| ■ Präcisions-Uhrenfabrik Alpina (Alpina Glashütte) ■ ■ Alpina Deutsche Uhrmacher-Genossenschaft GmbH (Dugena) ■ |
1909〜1922 1917〜 |
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グラスヒュッテの枠で括るには適当ではなくなったので、独立したページをつくりました。
こちらへどうぞ。 → ドイツ時計研究 メーカー編(AlpinaとDugena) 10/15/06
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| ■ Nomos-Uhr-Gesellschaft ■ | 1906〜1910 |
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第1次世界大戦前に僅か4年間だけ存在していたメーカーで、時代的にほぼ当たり前といえそうですが、懐中時計のみの製造となっているようです。
現在のノモスとは直接の関係はないようです。 1906年にドレスデンでGuido Müllerにより設立されたNomos-Uhr-Gesellschaftはスイスから完成されたムーヴメントを輸入、グラスヒュッテの刻印を押して販売していたようです。当時の時計産業は国策であったとか色々あったんでしょうが、グラスヒュッテの刻印は販売戦略上重要だったようです。
01/05/03
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| ■ Otto Estler ■ | 1920〜1951 |
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Otto Estlerは第1次世界大戦の終戦と共に創業されたメーカーで、システム・グラスヒュッテでも比較的高級品を製造していたことで知られます。
鐘ウニオンと同様、一部グラスヒュッテ製の部品、一部スイス製の部品を用いていました。 グラスヒュッテ製部品は主に脱進機まわりとダイアル、針、それ以外はスイス製ということで、この使い分けもほぼ鐘ウニオンと同じかと思います。 第2次世界大戦前〜の腕時計への移行期にどういう動きをしていたかはよくわからないのですが、1951年に複数のメーカーが統合されGUBが設立される際に、Estlerも同様にGUBに統合されたことを考えると、そこそこの生産規模を有していたものと考えてよいように思います。 08/29/03
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| ■ Mühle-Glashütte GmbH Nautische Instrumente & Feinmechanik ■ | 1869〜1972, 1994〜 |
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ランゲ、グラスヒュッテオリジナル、ウニオン、ノモスに次ぐグラスヒュッテの時計メーカーですね。「次ぐ」なんて書いちゃいましたが、序列があるわけではありません。なんとなく気分的なものです(謎
創業は1869年、初代のRobert Mühleが息子のPaul Mühle氏と共にRobert Mühle & Sohnを設立したことから始まります。
そして1945年、終戦と同時にALS(ランゲ)やUFAG、UROFAなどと同じくソ連の占領下で設備を接収されてしまうわけですが、その翌年には3代目のHans Mühle氏がHans Mühle Glashütteという社名で再興、計測機器とLauf- und Hemmwerke?を手掛けていました。
90年の東西ドイツ統一とそれに伴うGUBの民営化で、Hans-Jürgen Mühle氏はミューレのブランドと共に独立する必要性を感じたようで、94年にMühle Glashütte GmbHを再再興し、今に至っています。 2006年からはMercedes Benzと共同し、Mercedes Benzのロゴをあしらった時計を提供しています。パネライとフェラーリみたいなものでしょうか。 01/10/03
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| ■ Präzisions-Uhrenfabrik Aktiengesellschaft AG ■ ■ Deutsche Präzisions-Uhren-Fabrik Glashütte (DPUG)■ |
1890〜1904 1904〜1926 |
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こちらは後々UROFA・UFAG、GUB、GOと続くグラスヒュッテの腕時計の基礎を築いた祖ともいうべきメーカーです。
設立はランゲの元で時計を作っていたErnst Kasiske氏で、ランゲから独立したのは1890年、社名はPräzisions-Uhrenfabrik Aktiengesellschaft AGといっていました。
WWI後、ライプツィヒに拠点を移し、Deutsche Präzisions-Uhren-Fabrik Glashütte (DPUG)と社名を変え、普及品を中心としたラインアップでの生産を行っていたようです。
02/23/03
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| ■ Dürrstein & Company Dresden / Uhrenfabrik Union ■ | 1874〜1926 |
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現在、ウニオングラスヒュッテ(Union Glashütte I/SA)として名を残す、グラスヒュッテのかつての名ブランド、ウニオンはJohannesとFreidrichのDürrenstein兄弟によって時計商として1874年に設立されたのが始まりです。ランゲの唯一の代理店として時計を第二帝国に納入し、また、ランゲにはより安価なディフュージョンラインを製造するよう画策したり、なかなかに重要な位置づけにあったようです。
1879年にはDürrenstein & Comp. Dresdenとして会社組織となると同時に、Felsenburg、Monopol、Colombusからムーヴメントを購入、販売を始め、翌1880年からは一部スイス製、一部グラスヒュッテ製のUnion銘の時計を製造しはじめました。
その後、1893年に社名をUhrenfabrik Unionと改称し、Union銘でDUF品質(当時のランゲの時計の品質のランクには、高い順からALS、DUF、OLIWの3つがあります)の時計を製造しはじめています。
1926年にはWWI後のハイパーインフレのあおりを受け製造を中止、33年には工場を閉鎖、36年に商標が消されるという寂しい結末を迎えています。 さて、この会社、設立のJohaness Dürrensteinのほか、製造責任者のJulius Bergter、開発担当のEmil Leutertという3人で成り立っていた部分が多く、現在のウニオンからは彼らの名前を冠した時計が限定モノとして発売されています。
01/24/03
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| ■ B. Junge & Söhne, Glashütte bei Dresden ■ | 1881〜1897 |
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Bernard Jungeはドレスデンの時計修理工で、いきさつはよくわかりませんが1881年にグラスヒュッテに工房を開きました。
基本的にはALS他と同等の高級ラインに属する時計を生産し、中にはコンプリケーションもあったようですが、ケースはスイス製のものを用いていたようです。 1897年頃には生産を中止したようです。 08/29/04
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| ■ A. Schneider Glashütte bei Dresden/Sachsen ■ | 1851〜1878 |
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Adolf SchneiderはAdolf Langeと共にドレスデンのGutkaesの元に学び、1851年、ランゲに続いてグラスヒュッテに工房を開きました。
Adolf Langeとは義理の兄弟ということで、このあたりはJulius Assmannと同じような関係にあったことが窺い知れます。 1845年のALSの創業には創業メンバーとして参加、その後51年に自分の工房を開いたようです。 彼の時計の特徴はアメリカ向け輸出が主だったこともあり、ニッケルメッキのプレートにダマスキン加工していることに尽きます。
08/29/04
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| ■ M. Grossmann Glashütte ■ | 1854〜1885 |
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ランゲ、アスマンに比べ数が少ないのであまり目立ちませんが、グロスマンは同時期に高品質な懐中を作っていた会社です。
# 会社というか個人の工房といった方が近いかも。 グロスマンはランゲ、アスマンに続くグラスヒュッテで3つ目の工房で。1954年の設立です。
自社で生産していたものはダイアルにM. Grossmann Glashütteと記していますが、これ以外にM. Grossmann Dresden、System Langeといった銘のものが知られており、これらはランゲとの共同生産(というか下請け)により生産されていたようです。 1885年、彼の死亡とともに工房は閉じられました。 01/29/04
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| ■ J. Assmann/Glashütte i.SA ■ | 1852〜1927 |
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ランゲと並ぶグラスヒュッテの懐中の代表格、アスマンは1852年、アドルフ・ランゲの義理の兄弟に当たるJulius Assmannによって設立されました。基本的にはランゲのDUFクラスに匹敵する懐中を中心に生産していました。
1893年から97年の4年間は後にグリューン(グリュエン)を米国で立ち上げることになるFrederik Gruen氏が製造責任者を勤めていたことはグリューン(グリュエン)好きの方々にはよく知られていることかと思います。 # グリューン(グリュエン)の歴史についてはこちらのページが詳しいです。 1897年にはDürrensteinで下積みし、ランゲで営業部長?を勤めたGeorge Heinrich氏が共同経営者になります。コテコテの人脈ですね。 操業停止は1927年で、DPUGやUnionと同じくアスマンもまたWWI後のハイパーインフレにより壊滅的な打撃を受けたかと思いきや、廃業の直接のキッカケは何と工場への落雷だったそうで、グラスヒュッテの最初の黄金時代であった懐中の時代においてその象徴的な存在ともいえたアスマンの、黄金時代の幕引きの象徴的な出来事だったともいえましょう。 現在、といっても3〜4年前のことになりますが、グラスヒュッテオリジナルからJulius Assmannの名を冠した限定モデルが2種、リリースされています。1つはGO初のトゥールビヨン、1つはマイセンの陶器をダイヤルに配したものですが、いずれもGOの限定モデルの中で特に人気があり、プレミアムがついているようです。
02/15/03
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| ■ A. Lange b/ Dresden / A. Lange & Söhne Glashütte ■ | 1845〜1948 |
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カタログでも見て下さいって感じがしないでもないですが(笑
歴史編やムーヴメント編に色々な形でALSの話をご紹介していることもあり、ここではとりあえず重要な年代だけ書いておくにとどめます。 1845:A. Lange, Dresden創業 1868:A. Lange & Söhneに改称(Richardの入社) 1868:ALSグレードの確立(1A/1B/1Cの標準化) 1879:DUFグレードの確立 1922:OLIWグレードの確立 1924:Lange Uhr Glashütte i. Sa.の設立(腕時計部門の分社化) 1945:ソ連軍のグラスヒュッテ占領と工場接収 1948:西独にてOriginal Lange Uhren設立 1948:旧ALSがLange VEBへ社名変更 1951:Lange VEBがGUBに統合 1990:Lange Uhren GmbHの設立 08/29/04
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| ■ グラスヒュッテについて ■ |   |
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グラスヒュッテはザクセンの南部、山を越えればボヘミアというような位置にある町で、かなり山深いところに位置します。ひとことでいうと寒村、といった感じで、見た感じはとてもドイツの時計産業の中心地だったとは思えません。
この地に時計産業を拓いたのはいうまでもなくランゲの創業者のアドルフ・ランゲですが、なぜこの地だったのか、ということについては、ザクセン州政府が州内の後進地域での産業振興・雇用促進策を募った際に、ランゲ氏がこの地で時計産業を、と提言したことによります。
町の紋章をみると上半分にハンマー、下半分に時計が描かれており、銀鉱山としての歴史と時計産業の町としての歴史が刻まれているのがわかりますね。
現在の町の様子ですが、2002年の洪水で大打撃を受けた後、2003年10月にグラスヒュッテオリジナルとウニオンの新社屋が完成し、再生しつつあります。
01/19/04
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