■ ドイツ時計研究 〜 歴史編 ■  
こちらはグラスヒュッテ研究のうち、グラスヒュッテの歴史について雑感をまとめてみたものです。あくまでも雑感ですよ。

メーカー編(グラスヒュッテ)
メーカー編(シュヴァルツヴァルド)
メーカー編(AlpinaとDugena)
ムーヴメント編(腕時計)
ムーヴメント編(懐中)
ニュルンベルグの卵
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■黎明期のグラスヒュッテ
■グラスヒュッテ系の祖、Gutkaes
■ランゲ家の一族

■ 黎明期のグラスヒュッテ ■
19世紀中葉のグラスヒュッテの懐中はスイスからエボーシュを持ってきて云々、といわれがちなようですが、それは結局のところ日本語で(それどころか英語でも)得られる資料が少ないことによる誤解なのではないかと思うワケですが、色々とドイツ語の書籍を繙くと、どうやらジュラ渓谷やル・ロックルを意識した「零細な家内制手工業による時計産業」が「意図的に」形成されたようなフシがあります。

さて、Gutkaesの逝去が1845年8月8日、A. Lange b/Dresdenの設立が同年12月7日であることからすれば、Gutkaesの逝去とGutkaes & Langeの崩壊を直接のキッカケとしてドレスデンからグラスヒュッテに拠点を移したことになりますが、なぜグラスヒュッテだったのかという点については、
- 同地域での鉱山の生産高が減少に転じて長く、農業他の産業の振興が急務だった
- 数年続いた冷害により人口が減少しており、壊滅状態だった
- 洪水による追い打ち
などの理由が挙げられるようです。
こんな環境下で、グラスヒュッテなどという寒村に引っ越してきてスイスから部品買って自分だけ時計を作る、という状況はやはり想定しにくいんじゃないかと・・・ザクセン州政府の補助があったことも考えると周辺の住人に手に職を付けさせた、と考えるのが自然だと思いますがいかがでしょうか。

というワケで1845年の引越しから約30年かけてグラスヒュッテをジュラ渓谷やル・ロックルのような時計の町に作り上げていったことになろうかと思います。
初期のグラスヒュッテに存在していたメーカーといえば、
A. Lange & Söhne
J. Assmann/Glashütte i.SA
Dürrenstein & Company/Uhrenfabrik Union
の2社がよく知られていますが、他にも個人工房の規模では
M. Grossmann Glashütte
A. Schneider Glashütte bei Dresden/Sachsen
Richard Gläser
B. Junge & Söhne
といった時計師が存在しており、多くはドレスデンでGutkaesのもとに学んだ時計師たちで、ALSやアスマンと同レベルのものを出しています。
 # 他にも柱時計・掛時計・置時計などを手掛けたStübnerなども知られています

こうしたメーカーを支えていた、というより均質的な時計の生産を可能足らしめたのは、一般にGlashütter Hausindustrieと総称される家内制手工業に近い零細企業で、ケース、地板、歯車、針、などの分業が1870年代にかけて確立されていったようです。
先にあげたメーカーの中でも、Schneiderはむしろ地板とブリッジの製造と輸出が主力だったようですし、Gläserは親子2代・3人兄弟にわたるルイ15世針の製造で知られ、ランゲの薦めにより時計の製造に進出したことを思えば、エボーシュ屋さんとメーカー屋さんとの差は案外希薄だったのかも、という感じですね。

05/04/04
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■ グラスヒュッテ系の祖、Gutkaes ■
なぜグラスヒュッテで時計産業が興ったか、なぜそれが19世紀の中葉なのか、については、もちろんランゲがそうしたからに他ならないのですが、それでは答えになってないワケで、なぜランゲでなくてはならなかったのかというところまで考えると、結局はこの人にいきつくのね、という人がいます。
Johann Friedrich Gutkaes (1785〜1845)はドレスデンを中心に活躍していた時計師で、まさにザクセンにおける時計産業の祖にあたります。Adolph Ferdinand Langeは欧州各地で学んだ後、この人の下に弟子入りし、さらには婿養子に入ります。
この2人の名を冠したGutkaes & Langeがザクセン地方における最初の懐中時計メーカーでありました。

このGutkaesという人、1815年にドレスデンに工房を構えますが、1815年ってAdolph Ferdinand Langeが生まれた年でもあるワケで、ザクセンの時計産業の重要な年といえそうです。
1815年といえば時代背景的にはウィーン会議があったりなんだりで、ドイツの産業革命も愈々本格化しようかという時期ですし、時計もフランスではまだブレゲが活動していたような頃ですから(もっと言っちゃえば国境を接していたスイスやデンマークやなんやかやでもあれやこれやの有名人がいたワケで)、ちょうどドイツ全体に技術が広がっていった時期にあたります。

というワケでGutkaesの前にはザクセンには時計のマイスターは誰もいない、といってしまっていいようで、
# 尤もそれも極論で、教会の時計なぞはあったワケですけど

グラスヒュッテ系の祖はLangeであるというよりもGutkaesであるということで個人的には納得しています。
さらに加えるならば、ランゲに限らずグラスヒュッテの主要な工房が悉くGutkaesに学んだか、Langeに学んだかしているというのもありますね。

とはいえ、Gutkaesと同じ時期(19世紀前半)に同じような規模の時計産業はハンブルグ、フランクフルト、ベルリンなどドイツ各地(というか主要州はすべて、ですね)にあったワケで、その中でもグラスヒュッテがグラスヒュッテたりえたのはやはりランゲの功績でしょうか。

06/16/07 一部消去
05/04/04
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■ ランゲ家の一族 ■
なんだか金田一耕助みたいですが(笑
青沼静馬にあたるのが実はクルツ博士だったとか、ギュンター・ブルムラインだったとか、そういうことはないようです(笑

■■初代
■Lange, Ferdinand Adolph (1815/2/18-1875/12/3)
いうまでもないランゲのみならずグラスヒュッテの時計産業の祖ですが、じゃあ彼はどこで時計を学んだのか?というと
Johann Christian Friedrich Gutkaes (ドレスデン・・・アドルフの奥さんは彼のお嬢さん)
Joseph Thaddäus Winnerl (パリ)
ロンドン
スイス
といったあたりのようです。
30歳の1845年に国の補助を得てA. Lange b. Dresdenを設立、グラスヒュッテの時計産業の基礎を築き上げました。
またグラスヒュッテの村長でもあったようです。

■■2代目
■Lange, Richard (1845-1932)
創業者のアドルフの長男で、父に基礎を叩き込まれた後、仏ル・ハーヴルのVissiere社並びに英ロンドンBoehme社で修行、そしてグラスヒュッテに戻ってMoritz Grossmannに勤務していたようです。
1868年にはエミールと共にアドルフのサポートのためにA. Lange b. Dresdenに加わり、社名がA. Lange & Söhne b. Dresdenとなりました。
A.ランゲ&ゾーネでは機能の改善や複雑機構(パーペチュアルカレンダーやスプリットセコンド)などの開発に関わっていたようです。

■Lange, Friedrich Emil (1849-1922)
創業者アドルフの次男。1815ムーンフェイズは彼に捧げられています。
A.ランゲ&ゾーネでは主に海軍向けのストップウォッチやマリンクロノメーターの製作に関わっていたようです。
彼は4人の息子をもうけ、現在のランゲ家へと繋がっています。
■Lange, Otto (1852-1874)
アドルフの三男。早くにお亡くなりです。

■Lange, Adolf (1856-1929)
アドルフの四男。
A.ランゲ&ゾーネには弁護士として加わってます。

■■3代目
■Lange, Otto (1878-1971)
エミールの長男。
グラスヒュッテとル・ロックルで修業の後、1906年にA.ランゲ&ゾーネに入社。
WWI後のランゲの廉価版グレードのOLIWを策定したのはこの人のようです。

■Lange Rudolf (1884-1954)
エミールの次男。
ラ・ショー・ドゥ・フォンで学んだ後、WWI終結後の1919年からオットー、ゲルハルトと共にA.ランゲ&ゾーネを経営。
4代目当主のアドルフ、ウォルターの父にあたります。

■Lange, Walther (1889-1915)
エミールの三男。早くにお亡くなりです。

■Lange, Gerhard (1892-1969)
エミールの四男。
ライプツィヒとフライブルグで商業と経済学を学んだようで、A.ランゲ&ゾーネでは時計師ではなく営業担当?として働いていたようです。

■■4代目
■Lange, Ferdinand Adolf (1922-1989)
ルドルフの長男。
東西ドイツの分離後、西ドイツに移り、時計・時計部品の卸売会社を設立。
ウォルターとともにOriginal Lange Uhrを設立、エタブリスールとして時計を売っていましたが、新生A.ランゲ&ゾーネを見ることなくお亡くなりに。

■Lange, Walter (1924-)
ルドルフの次男にして現在のランゲ家の当主。
カールシュタイン(チェコ?)とグラスヒュッテの時計学校で学んだ後、徴兵で戦争に。
戦後西ドイツに渡った後はフォルツハイムでOriginal Lange Uhrを設立、ランゲの復活を目指しますが、商業的には全く成功しなかったようです。
その後、東西ドイツの統合後にLMH(というかIWC)にお願いしてランゲの商標をGUBから買い取り、ランゲ&ゾーネを再興したのはご存知の通りですね。

追記
カールシュタインの時計学校で修行中のKさんからご連絡を頂戴しました。
カールシュタインはオーストリアで、同時計学校は現在グラスヒュッテ・オリジナルがスポンサーとなっているとのことです。
情報ありがとうございます。深謝。

03/24/04 一部追加
10/18/03
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