| ■ ドイツ時計研究 〜 歴史編 ■ |   |
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こちらはグラスヒュッテ研究のうち、グラスヒュッテの歴史について雑感をまとめてみたものです。あくまでも雑感ですよ。
メーカー編(グラスヒュッテ)
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| ■ 黎明期のグラスヒュッテ ■ | |
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19世紀中葉のグラスヒュッテの懐中はスイスからエボーシュを持ってきて云々、といわれがちなようですが、それは結局のところ日本語で(それどころか英語でも)得られる資料が少ないことによる誤解なのではないかと思うワケですが、色々とドイツ語の書籍を繙くと、どうやらジュラ渓谷やル・ロックルを意識した「零細な家内制手工業による時計産業」が「意図的に」形成されたようなフシがあります。
さて、Gutkaesの逝去が1845年8月8日、A. Lange b/Dresdenの設立が同年12月7日であることからすれば、Gutkaesの逝去とGutkaes & Langeの崩壊を直接のキッカケとしてドレスデンからグラスヒュッテに拠点を移したことになりますが、なぜグラスヒュッテだったのかという点については、
というワケで1845年の引越しから約30年かけてグラスヒュッテをジュラ渓谷やル・ロックルのような時計の町に作り上げていったことになろうかと思います。
こうしたメーカーを支えていた、というより均質的な時計の生産を可能足らしめたのは、一般にGlashütter Hausindustrieと総称される家内制手工業に近い零細企業で、ケース、地板、歯車、針、などの分業が1870年代にかけて確立されていったようです。
05/04/04
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| ■ グラスヒュッテ系の祖、Gutkaes ■ | |
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なぜグラスヒュッテで時計産業が興ったか、なぜそれが19世紀の中葉なのか、については、もちろんランゲがそうしたからに他ならないのですが、それでは答えになってないワケで、なぜランゲでなくてはならなかったのかというところまで考えると、結局はこの人にいきつくのね、という人がいます。
Johann Friedrich Gutkaes (1785〜1845)はドレスデンを中心に活躍していた時計師で、 このGutkaesという人、1815年にドレスデンに工房を構えますが、1815年ってAdolph Ferdinand Langeが生まれた年でもあるワケで、ザクセンの時計産業の重要な年といえそうです。
とはいえ、Gutkaesと同じ時期(19世紀前半)に同じような規模の時計産業はハンブルグ、フランクフルト、ベルリンなどドイツ各地(というか主要州はすべて、ですね)にあったワケで、その中でもグラスヒュッテがグラスヒュッテたりえたのはやはりランゲの功績でしょうか。 06/16/07 一部消去
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| ■ ランゲ家の一族 ■ | |
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なんだか金田一耕助みたいですが(笑
青沼静馬にあたるのが実はクルツ博士だったとか、ギュンター・ブルムラインだったとか、そういうことはないようです(笑 ■■初代
■■2代目
■Lange, Friedrich Emil (1849-1922)
■Lange, Adolf (1856-1929)
■■3代目
■Lange Rudolf (1884-1954)
■Lange, Walther (1889-1915)
■Lange, Gerhard (1892-1969)
■■4代目
■Lange, Walter (1924-)
追記
03/24/04 一部追加
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